Kataru – 埼玉県で紡がれるストーリー

Pinkish 湯本葵

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アクティブだった幼少時代

わたしは、ひとりっこなのですが、両親がキャンプやスキーが大好きで、毎週末はどこかに出かけてはアウトドアで遊ぶような、アクティブな家庭で育ちました。兄弟がいなくて寂しかったので、小学生の時に親にお願いをして、犬を飼ってもらったんです。そしたら、一匹だとだんだん物足りなくなってきたし、犬も一匹じゃ寂しいだろうということもあって、もう一匹飼ってもらうことになりました。そしたら、今度は、そこから子供が生まれて(笑)。

そうやってだんだん犬の家族が増えていきました。でも、さすがにうちも、そんなに何匹も飼えないので、友達に譲って。いま一緒に生活している犬の家族構成も、お父さん、お母さん、娘の3匹です。

小学生の頃はウサギも飼っていたので、みんなをキャンピングカーに乗せて、いっしょにキャンプに行ってましたね。アウトドアで遊ぶことが多かったせいか、女の子がやるような遊びはしてこなかったです。だから、いっしょに遊ぶ友達も男の子のほうが多かったように思います。

父が体育の先生だったこともあり、スポーツも好きでした。小さいころから水泳、バスケットボールなど、いろいろなスポーツをやってきましたが、その中でも、唯一小さいころから今までずっと続けているのがダンスです。小学生のころからジャズダンスを習っていました。高校に入ってからはヒップホップダンス、大学で少し時間的にも余裕ができてからは、バレエも習い始めました。いろんなジャンルのダンスを勉強してきたことがPinkishでの活動にも活かせていると思います。

自分、湯本葵について

昔から、目立ちたがりなところがあったので、生徒会をやったりしていました。高校生のころには、ダンス愛好会を自分たちで立ち上げたり、先頭に立ってなにかをやることは、実は好きなのかもしれません(笑)。

春菜ちゃんや、真央ちゃんからは、一番年下なのに、しっかりしているって言われますね。そんなにしっかりしていないんですけどね(笑)。

あとは、情報をキャッチするのは早いみたいです。これだけの情報社会なので、スマホとかパソコンはちゃんと使いこなして、なるべく効率的に正しい情報を入手できるようにしたいですね。

Pinkishにはいるきっかけ

小学生のころは女優になりたくて、都内の劇団に所属していました。そして、よくあるテレビの回想シーンなどに出演していました。私がすこしでもテレビに写ったりするのを、両親は毎回チェックしてくれていましたね。小学生のころから芸能界には興味をもっていたのですが、中学生になると部活もあったので、結局、劇団は辞めてしまいました。だけど、ダンスだけはずっと続けて、将来もダンスを活かした仕事ができたらいいなと思っていました。

ある日、父がオーディションの広告を見つけてくれて、ダンスが活かせるんじゃないかということで、Pinkishのオーディションを受けることを勧めてくれたんです。しばらくの間、応募するかどうか迷っているうちに、応募の締め切りの日になってしまったので、とにかく受けるだけ受けてみようと思い立って、オーディションの当日に事務所に電話し、駆け込みでオーディションに参加することにしました。オーディションの日が、ちょうど学校の文化祭の日だったので、ギリギリでオーディション会場について、しかも、終わったらすぐに学校に戻りました(笑)。

当時の私は「ご当地アイドルだから、地元で活動するくらいだろう」っていう軽い気持ちだったような気がします。ジャズダンスと振付のダンスは全然違うんですが、その違いすらわからなくて、「自分はずっとダンスをやっていた」っていう変なプライドもあったのかもしれません。だから、オーディションに参加した頃は、生意気な高校1年生だったように思います(笑)。

でも、オーディションの何日かあとに、春菜ちゃんとそのお姉さんが観に来ていて、2人があまりにキラキラしていたので、これは真剣にやらないといけないって、気持ちを入れ替えたのを覚えています。

加須市のいいところ、埼玉県のいいところ

春日部市から加須市内の高校に通っていた頃から感じているのですが、加須市は、単に田舎というよりは、時間がゆっくりと流れているようで、とても心地よい場所だなと思っています。それから、人が気さくで温かいんですよね。「あ、ピンキッシュだ」とか「頑張ってね」って気軽に声かけてくれる人が多いんですよ。学校の帰り道にあるお店の方から「お疲れ様!」って声をかけてくれたりとか。

埼玉県は、秩父や長瀞などアウトドアレジャーを楽しむにはとても人気のある地域です。それに、大型ショッピングモールもたくさんありますし、春日部市や鷲宮神社などアニメーションにゆかりがあるところには観光客もたくさん訪れています。埼玉県内には楽しめるところがたくさんあるので、もっともっと、全国の方々に埼玉県を知ってもらいたいです。

Pinkishで活動してきて

もちろん、いままで、自分なりに苦労したこともありました。私がPinkishに加入したのが高校1年生の時だったのですが、通っていた学校が進学校だったこともあり、Pinkishの活動になかなか理解をしてもらえなかったですね。Pinkishの活動と勉強を両立することが難しかったです。イベントの出演があったりすると、学校を早退したり欠席しないといけないときもありましたし、もちろん土日はPinkishの活動でつぶれてしまうので、学校の先生からも反対されました。Pinkishの活動していても、学校の成績がよければあまり言われなかったのかもしれませんが(笑)。勉強する時間をつくることが難しかったのですが、それでも私はPinkishを辞める気は全くありませんでした。

そして、アイドルとして活動させてもらっているので、普段できないことをたくさん経験させてもらっています。特に、台湾でライブができたことは、自分たちの自信にもなっています。日本国内でもまだメジャーじゃない私たちが、台湾でライブができたということ、そしてその台湾にも私たちを応援してくれている人たちがたくさんいるっていうことは、改めて考えてもすごいことだなと思います。

そうやってPinkishに関わってくれている方々のためにも、もっともっとメジャーになっていきたいです。そして私たちがやっていることで、少しでも皆さんの役に立てたら嬉しいです。

これからの目標

Pinkishは結成されてから13年間、たくさんの人が関わってきた歴史があります。その分応援してくれている方もたくさんいます。そういった方々のために、自分達の力で何か恩返しができたらいいなと思っています。それがライブという形なのか、CDをたくさん出していくことなのか、何ができるかわかりませんが、少しでも形にしていきたいです。

Pinkishはいま、愛踊祭というコンテストに参加しています。2次審査が終わり、次の審査は、9月6日にイーアスつくばで行われる北関東エリアの代表決定戦です。

9月22日に行われる決勝大会の舞台に立つためにも、何としても、9月6日のエリア代表決定戦を勝ち抜きたいと思っています。2次審査では、北関東エリアで第3位になり、無事、次のステージに進むことができました。しかし、今のままでは、まだまだ力不足です。北関東代表になるためには、今まで以上に私たちが努力することはもちろん、ファンのみなさんをはじめ、地元埼玉県や加須市の皆さんの応援が必要です。これからもPinkishの応援をよろしくお願いします。

編集後記

周りの理解がなかなか得られない中、自分の意志と家族のサポートを頼りにPinkishの活動をつづけてきた湯本葵さん。幼いころからたくさんのことを経験し、アクティブに育てられてきた彼女だからこそ、自分の選んだ道を信じて進んでいく行動力が身についていたのだろう。そんな彼女の目からは、Pinkishで頑張っていきたいという強い意志を感じた。

 

なお、ピンキッシュのメンバーやスタッフの過去のインタビュー記事も併せてご一読ください。

ピンキッシュ リーダー 中里春菜

ピンキッシュ メンバー 西浦真央 

ピンキッシュ マネージメント 石川茂樹・川田茂

 

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