Kataru – 埼玉県で紡がれるストーリー

Pinkishリーダー 中里春菜

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アイドルグループPinkish(ピンキッシュ)のリーダーとして、全国でライブ活動を行いながら、地元をPRし続けている中里春菜さん。彼女のPinkishへの想い、地元埼玉のこと、これからの目標まで、お話を伺いました。

幼少時代

わたしは、二人姉妹の妹として、Pinkishと同じ埼玉県加須市で生まれました。幼いころから、とても活発でおてんばな女の子でした。しょっちゅう怪我をしていて、擦り傷の絶えない女の子でしたね。

姉とは歳が3つ離れているんですが、小さなころから姉にはとても可愛がってもらいました。いまでもとても仲が良いんですよ。

その姉が、昔からよく料理をするんですが、その影響もあってか、私も最近は、時間があればよく料理をするようになりました。前はレシピをみながらじゃないと料理ができなかったんですけど、最近は、レシピをみず、冷蔵庫にあるもので料理が作れるようになってきました。自宅で祖母が野菜を作っているので、旬の野菜を使った料理をつくってみたりします。最近は、餃子を作りましたよ。母が作る料理と味が似ているらしく、家族も美味しいと言ってくれます(笑)。

あと、休日は、写真を撮ったり、いい写真を観たりするのも大好きですね。有名な写真家の写真をみたり、一眼レフを持っているので、キレイだなとおもう景色や場所をパシャパシャと撮ったりして楽しんでますね。

 

Pinkishにはいるきっかけ

わたしは小さいころから、ずっと姉のやることにくっついているような子でした。
自分自身は、本当は目立ちたい性格なんですけど、引っ込み思案なところがあって、いつもお姉ちゃんの後ろに隠れていました。遊ぶのももちろんですが、ピアノ、合唱団、習字、水泳などの習い事もすべて姉がやっていることをずっと真似して後ろからついていくような感じで。

だから、姉がPinkishの1期生のメンバーだったんですが、姉と同じ道をずっと歩んできた私にとっては、Pinkishのメンバーになるために、2期生のオーディションを受けることは、ある意味、自然な流れだったような気がします。

姉がPinkishのメンバーとしてステージで歌ってるのをみたときは、とってもうらやましかったことは、いまでも鮮明に覚えています。

それに、当時は、モーニング娘さんが流行っていたこともありますが、マイクをもって歌うことにすごく憧れていました。小さいころは、自分の手作りでマイクを作って、鏡の前でダンスをしながら歌ったりして(笑)。

祖母が演歌の先生をやっていたので、祖母の家にはカラオケボックスがあって、その天井にはミラーボールがあるんです。だからマイクをもって歌うことが特別なことなんだ、ということは小さいころからの潜在意識としてあったのかもしれません。

オーディションに合格したときは、「これで本物のマイクをもって歌える!」って思いました。

 

自分の性格

周りからは、よく「天然」だといわれます。自分ではあまり自覚がないんですけどね(笑)。

二人姉妹の妹のせいか、甘えん坊だったので、Pinkishのリーダーになるときは、本当に不安でした。リーダーになる前は、いつも人に任せっきりで。
人前でしゃべることがとても苦手で、だれかが話しているのを頷いて聞いているだけでした。
何かを食べに行ったときにメニューを決めるのも一番遅い。とにかく優柔不断(笑)。

でも、リーダーになってからは、Pinkishのメンバー3人で何かアイデアを出して一つのことを決めないといけないときや、迷ったことがあったときは、最終的には、私が決めることが多くなっていきました。

Pinkishでの活動歴も一番長いので、しっかりしなきゃいけないという意識を強く持つようになったんだと思います。

だから、メンバーから「頼りになる」って言ってもらえた時はうれしいですね。

Pinkishでリーダーという役割をやらせてもらって、その役割がわたし自身を成長させてくれているのだとおもいます。

 

私生活との狭間

Pinkishで活動していて、やっててよかったなと思うことも、苦労したことも、本当にたくさんありました。

わたしは小6からPinkishで活動をしているんですけど、Pinkishでの活動を始めてから、最初に苦労したのは、中学になってからでした。とにかく部活動とPinkishの活動との両立がとても難しかったです。
中学では吹奏楽部に入ったんですが、土日にPinkishの活動がはいっているので、部活動に出られないことが多かったんです。だから、顧問の先生に怒られたこともありましたし、主線を吹いていたのに、あるとき急に外されてしまったり。周りにも迷惑をかけていたと思いますし、自分自身も辛い思いというか、苦い経験もしました。

あとは、友達との関係性も難しい時期だったかもしれません。友達は、Pinkishを応援してくれてはいるんですけど、

「春菜はPinkishで忙しいから無理だよね。」

って思われてしまい、どこか出かけたり遊びにいくのにもなかなか誘ってもらえなかったり。それは別に誰が悪いわけでもないし、もちろん、仕方のないことだったんですが、中学生って、友達とたくさん遊びたい時期じゃないですか。友達と仲良く遊びたいという気持ちが強かった分、当時は悩みも大きかったです。

でも、逆に、Pinkishで活動しているからこその喜びもたくさんありました。
特に、ほんとうにたくさんの人に出会えることが一番の喜びですね。どこかに旅行に行って、周りの人を見渡すと、「この人たちと会うことなんて、もうないんじゃないか」ってよく思うんです。

同じ時間に同じ場所にいること自体が偶然の重なり。

だから、過去に何度か台湾でライブを行わせていただいたのですが、
海外で、Pinkishが気になって、わたしたちのライブを見に来てくれている方たちとの出会いって、本当にすごい確率なんだなって。奇跡的なことだなって。

だから、台湾でもそうですし、日本でもそうですが、ライブに来てくれるファンの方たちは、本当に大切にしたいですね。

意外と、そういうことも考えるんですよ(笑)

 

埼玉県のいいところ、加須のいいところ

川の国埼玉の観光PR大使にも任命していただいて、地元のいいところを本当によく考えるようになりました。
秩父や長瀞のように広大な自然もたくさんあって、登山したりキャンプしたりできるアウトドアリゾートもたくさんある。遊園地でいえば東武動物公園もあるし、また、先日、ムーミンのテーマパークが飯能市の宮沢湖畔にできるというニュースが流れましたが、新たな名所もできてきて、これからが面白い地域だと思います。
プロ野球球団もJリーグチームもあるようにスポーツも盛んな地域ですしね。

私が生まれ育った加須市は、当たり前かもしれませんが、自分にとって一番落ち着く場所です。すごく平和だなって思います。最近、テレビや新聞などで、ジャンボこいのぼりや加須うどんが取り上げられる機会が多くなりました。加須市がテレビで紹介されているのを見ると、ほんとうに嬉しくなります。

そういえば、加須市にFC KAZOというサッカークラブがあるんですが、Jリーグを目指して活動しているそうです。

Pinkishは、加須市の観光大使にも任命されているので、もっともっと、全国の人たちに、加須市のことを知ってもらいたいなと思っています。

 

これからの目標

今年にかける思いはとても強いです。いままでの殻を破って、もう1ステージ上のPinkishになるために、新しいことにもチャレンジしたいとおもっています。

今年の初めには、地元加須市の「パストラルかぞ」というホールでワンマンライブをやらせてもらいました。そして、いまはちょうど、「愛踊祭2015」というコンテストに参加しています。
ある課題曲を与えられて、そのパフォーマンスで日本一のアイドルを決めるというコンテストなのですが、9月22日の決勝大会、そして日本一を目指して日々頑張って活動しています。ここで結果をだして、Pinkishとして、爪痕を残したいんです。

地元埼玉県の皆さん、Pinkishを気にかけてくれている皆さんの応援がとっても心強いので、
ぜひ投票をよろしくお願いいたします。

 

編集後記

Pinkishのリーダーとして、気丈な振る舞いをみせている中里春菜さん。
日々プレッシャーと戦い自分の殻を破りながら成長しつづけた彼女自身の集大成とすべく、
「愛踊祭2015」に挑戦している姿は、私が想像していたアイドルとは、大きくかけ離れていました。

地域の中で、応援できるグループがいるということ自体、実はごくまれで、恵まれていること。

こうして埼玉県のはじっこから羽ばたいていこうとチャレンジしている若者を、地域ぐるみでバックアップ・応援していけるような、そんな地域でありたい。

 

なお、ピンキッシュのメンバーやスタッフの過去のインタビュー記事も併せてご一読ください。
ピンキッシュ メンバー 西浦真央

ピンキッシュ メンバー 湯本葵

ピンキッシュ マネージメント 石川茂樹・川田茂

 

 

 

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