Kataru – 埼玉県で紡がれるストーリー

スポーツの力

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8月2日、つくば市総合運動公園の建設の是非をめぐる住民投票が行われ、市民から強烈なNoが突きつけられた。なんでも、有効投票の8割以上が運動公園の建設に反対したそうだ。

 市民の機運

今回の計画は、総工事費305億円を使い、46へクタールもの広大な敷地に、1万5千人を収容しる陸上競技場や総合体育館やスケートリンクなど11のスポーツ施設を、10年かけて整備するものというもの。新国立競技場の建設問題が世の中を賑わせている時期だけに、タイミングが悪かったという側面もあるが、もっと大きな問題は、つくば市の「事の進め方」にあった。

少し前に、とある政治家の方とスタジアム建設の会話をした際に言われた言葉がある。

「まずは機運を高めてください」

まさにその通りだ。

今回のつくば市は、市政始まって以来の大きな事業であるにも関わらず、トップダウン式で事を進めようとし、市民に対して十分な説明責任を果たさないまま、大きな計画を実行しようとしていた。

  • なぜ運動公園が必要なのか?
  • つくばFCやつくばロボッツが必要とするスタジアムやアリーナは、本当に市民がもとめているものなのか。
  • 市民は運動公園をどのように使うのか?
  • 地域に何をもたらすのか?
  • スポーツを通じた市民へのサービス(ソフト面)は、用意されるハード面と見合っているのか?
  • 投資に対する市民のリスクは?

このような議論が十分に行われ、民意をしっかりと反映した計画になっていれば、市民のスポーツへの理解も高まり、期待感、高揚感、機運の高まりも得られたかもしれない。だが、つくば市は、「つくば市総合運動公園基本計画策定委員会」なる組織を作ったが、委員の公募をするわけでもなく、市民の意見を聞くわけでもなかったそうだ。

その意味では、今回の行政側の「ことの進め方」には、大きな疑問を感じている。

スポーツを使った地方創生を

スポーツの力を信じるものとしては、このまま「スタジアム建設は無用の長物」というイメージが世間に広まってしまうことは、心が痛む。日本のスポーツ文化の形成のためにも、我々市民も、もう少し議論を掘り下げられるだけの知見が必要だ。

欧米では、地方再生の筋書きにおいて、スポーツが重要な役割を担ったという事例が多くある。そしてスポーツを使った地域経済の復興とともに、地域内におけるスポーツへの理解が進んでいった。

欧米での成功事例を幾つか調べると、浮かび上がってくるのが、当時の社会的な背景。地方経済産業の落ち込みや、それがもたらす失業率の低下や治安の悪化だ。

欧米では、これらの課題を解決する手段としてスポーツが戦略的に利用されてきたのだ。人気チームを誘致しスタジアムを建設する。スタジアムを核とした商業施設の充実、企業誘致やスポーツツーリズムの活用などにより、雇用を生み出し、消費活動を活発化させて地方経済の振興を促した。

スポーツのもつ計り知れない力

スポーツが持つ力は、もちろん、経済効果だけではない。

スポーツが作り出す一体感、連帯感は、今の地域社会において希薄となった横のつながりを取り戻すために大いに役立つ。

コミュニティに関わることにより、健康の最大の敵である孤独感からも解放され、市民が健康でイキイキとした生活を送ることができるようになる。高齢化社会においては、相互扶助機能もコミュニティの重要な役割だし、自主的な防犯機能が強化されることも、まちづくりには必要な要素だろう。

つまり、スポーツを使って、失われた地方のコミュニティを再生し、そのメリットを市民が享受できる筋書きは描けるのだ。すべての筋書きを市民と行政が共有し、どの程度の規模や機能を持った運動公園が必要かをしっかりと会話できていたら、今回の計画をどれだけ前向きに捉えられていただろうか。

新国立競技場もつくば市運動公園も、決して建設自体が反対なわけではなかった。行政側が進め方を間違えたのだ。

スポーツに関わり、少しでもスポーツの素晴らしさを感じたことがある人達が、自らが住む地域の社会的な背景や、将来の課題に対して、スポーツを使ってできることを模索していく事で、生み出せるものがある。

今一度、スポーツのもつ可能性を考えてみてはいかがだろうか?

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