Kataru – 埼玉県で紡がれるストーリー

農業家 青木賢二

青木賢二
青木賢二(41歳)
農業家・農園経営者

関東平野のど真ん中。美しい田園風景が広がる久喜市南栗橋地区で、米やいちごなどの農業を営む青木賢二さん。小さい頃の夢は保育士、ケーキ屋になることだったとのこと。自分が農業を営むなんてこれっぽっちも思っていなかったそうです。そこからどのような経緯で、農業を営む若き経営者となったのか?話を伺いました。

保育士に憧れた幼少時代

私は鷲宮町で2人兄弟の次男として生れました。明るいやんちゃな性格だったので、小さいころからイタズラばかりしていた落ち着きのない子でした。年下の子を面倒見るのが好きで、低学年の子を面倒みたり、遊んだりしていましたね。もちろん、体を動かすのが好きだったので、部活ではサッカーをやっていました。

パン屋での下積み

高校を卒業してからは、パンとお菓子の専門学校にかよったのち、都内の結婚式場に就職をしてウエディングケーキやお菓子をつくる仕事につくことができました。その後 パン屋に再就職したのですが、朝早くから仕込みをして夜遅くまで仕事する毎日。大変でしたが、苦にはならなかったですね。何かを作るのが好きだったので、パンを作って売るということ自体がとても新鮮でしたし、自分が作ったものが、美味しいと喜んでもらえる快感を味わったのもこの時でした。

いまの原点がパン屋時代だったようにも思います。

今でもたまの休日の時は、家族みんなでパンを焼いたりケーキをつくったりしますよ。家族も美味しいと言ってくれています(笑)。

結婚を機に農業家に

結婚したことで、仕事にも転機が訪れました。妻の実家が農家だったのと、義父がとても熱心に私を農業の世界に誘い込んだんですね。

体力には自信がある方だったのですが、いざやってみると、なかなか大変で、最初は「こんなことやってられるか」って思いました(笑)。

農業のやり甲斐は、しばらく続けてみて少しづつわかってきました。とにかく奥が深いんです。例えばイチゴ。いまこうしてイチゴ農園は、何もない状態ですが、これは、農園内の雑菌や余分な肥料などを一旦綺麗にリセットするために行っていることなんです。イチゴ狩りなどでたくさんの人が足を踏み入れますし、肥料ももちろん使っているので、イチゴ農園内に水を張って、まずは地下に流す。その後、ハウス内を高温にし、蒸気を使って残った悪い菌を殺すんです。こういったことをしながら、来年また美味しいイチゴをみなさんに届けられるように準備段階からしっかり行っておくことが大切なんです。

このような工夫は、代々続く昔ながらの経験知に加え、自分自身でも勉強したり、試行錯誤を繰り返したなかで身につけたものです。
私は農業を始めてからまだ6年と経験が浅い分、情熱を注ぎ工夫していかないと美味しい作物は作れないんです。

情熱を注いできたせいかはわかりませんが、おかげさまで、青木農園で作ったお米やイチゴを贔屓にしてくれるお客様が増えています。
なるべく顔が見えるお取引をしたいと思っているんですが、やはり、買ってくれたお客様から直接美味しいといって喜んでもらえると、こちらも嬉しくなっちゃいますね。

イチゴ農園の崩壊、そして再建

今は、このイチゴ農園のビニールハウスは新しいんですが、実は、1年前の大雪の時、ハウスが全壊してしまったんです。近年例を見ない大雪で、雪の重さにビニールハウスが耐えられなくなってしまったんですね。さらには、ビニールハウスの倒壊だけでなく、農耕機やトラックが下敷きになり、被害が大きくなってしまいました。

倒壊を目の当たりにした時は、
「もうだめだ。イチゴはやめるしかない。」
と思いました。

毎年、私たちが作るイチゴを楽しみにしてくれている方がたくさんいるのに、結局、その年作ったイチゴの出荷はほぼ諦めざるを得なくなりました。手塩にかけたイチゴが、倒壊したビニールハウスの下になっているのを見ると、やるせない思いで一杯になりました。

でも、大雪の日以降、倒壊を聞きつけた人たちが、応援してくれたり、協力に駆けつけてくれたんです。青木農園のイチゴを楽しみにしてくれる人や、自分たちのことを応援してくれる人がこんなにたくさんいたのかと思うと、本当に嬉しかったですね。

そして、いつの間にか「もう一度やろう」っていう気持ちが湧いてきたんです。

半年近くかけてイチゴ農園を再建し、翌年からまたイチゴを栽培することができました。再建して初めてできたイチゴを食べた時は、感無量でした。

「あぁ、続けてよかったな」って。

今後の目標

東日本大震災以降、放射性物質の検査など、食の安全性にも力を入れてきました。消費者の方々は敏感ですから、震災以降は、米の安全性についての問い合わせがイッキに増えています。

少し大袈裟な言い方かもしれませんが、日本の食卓を支える米を作っている私たちが、安全なお米を届けられなかったら、日本の農業は終わりだという強い信念を持って取り組んでいます。とはいえ、食の安全性に対して、過剰な反応をしてしまうのもよくありません。たとえば、「無農薬・有機栽培」といった言葉はみなさんもよく聞くとおもいます。ですが、いまの日本は、この言葉に踊らされてしまっているという感覚を持っています。

本当に無農薬有機栽培で作られた農作物なら、作物の中から虫が出てくるなんてこともごく当たり前に起き得ます。でも、買った野菜の中から虫が出てきたらイヤですよね?
そんなものを世に出したら、それこそ、異物混入の騒ぎと同じになってしまいかねません。

ですから、私たちは、埼玉県から「特別栽培農作物」の認定を受け、農薬や化学肥料を必要最小限に抑え、安全性が高くて美味しい農作物を作ることを心掛けてます。また、農林水産省が、環境保全型で持続性の高い農業生産方式を促進するために、「エコファーマー」という資格の認定をおこなっているのですが、青木農園も一度申請を怠って失効していたエコファーマーの資格を、再度認定を受ける方向で準備を進めています。
誇張表現をしてお客様の信頼を損ねるようなことはせず、安全で安心して食べられる農作物を作り続けていきたいと思っています。

私がお届けする作物の基準は、
「自分や自分の家族が安心して食べられるもの」。
自信を持って世の中に出せる作物しか、お客様にも提供しません。

こんな時代だからこそ、お客様にも自分自身にも真摯に向き合って、「安心して食べていただける青木農園」を目指したいと思います。

[編集後記]

より安全で美味しい農作物を届けるために日々試行錯誤を繰り返しているという青木さん。

美味しいお米やイチゴが食卓に届く、その裏には、大きな苦労と幾つもの困難にぶつかっては、それを跳ねのけてきた若き農業家のチャレンジがあった。

青木さんのような若者がチャレンジし続ける限り、久喜市をはじめとする埼玉県東部北地区の食文化は明るい未来がひらけている。

aokikenji-garally2 aokikenji-garally1 aokikenji-garally6 aokikenji-garally5 aokikenji-garally4 aokikenji-garally3

 

青木農園のいちご狩り情報はこちら

LINEで送る

Tagged on: ,